私たちは「芸術家に支援をしてくれ」と国家にお願いしているわけではない(支援は必要だが)。支援されるべきは、文化を享受する権利を奪われた国民だ。

2020年3月29日

先般、この新型コロナウイルス問題は、科学コミュニケーションやリスクマネジメントの授業の格好の題材になるという論旨で、少し長めの文章を掲載しました。
 同様に、今回の出来事は、アートマネジメントの授業においても格好の題材となるかと思いますので、とりあえず、いま考えていることをまとめておきます。

こちらも、もともとツイッターでの掲載を前提にして書いた文章なので、少しつながりがおかしいかもしれませんが、ご容赦ください。

原理的には単純なことなのだと思う。
今回、「健康で文化的な最低限度の生活」(憲法25条)と、これに教育を受ける権利などを含めた生存権的基本権のうち、どうしても「健康」を優先せざるを得ない状況が起こり、他の権利を抑制する結果となった。しかし、この判断自体は、緊急措置としては間違っていないと思う。

ただし、憲法が保障する諸権利をバランスよく守るためには、危機を脱したのちには他の権利の回復に早急に努めなければならないし、危機の最中にあっても、最低限できる保証、対応はした方がいい。

とりあえず社会的なコンセンサスがとりやすい「最低限度の生活=経済」の保証が現在、議論の中心になっており、現金給付か商品券か、減税か還付かといった話題が出ている。これがいま現在の状況だ。
また、生存権の問題とは別に、経済は複雑にリンクしているので、特定のジャンルが壊滅状態になると、他の産業にも影響してしまうから、自然災害時などに特定のジャンルを一定期間保護するというのも、経済政策としては間違ってはいない。例えば経済の血液といわれる金融部門が破綻しかけた時には、そこにテコ入れするのは当然のことだ。和牛商品券さえも、このような視点に立てば、三百歩くらい譲れば根拠はある(畜産が但馬の主産業の一つだから擁護しているわけではない)。まあ無理筋だが。

次に当然、文化を享受したり教育を受ける権利も保障されなければならず、これらのうち、今できることと、事態の収束後にできることを、切り分けて考えなければならない。
「次に」と書いたが、これは経済が優先と言うことではなく、同時並行的に行わなければならない。ただ、日本では、どうしても経済優先になってしまうということだ。

経済の次に、教育も比較的、対処は想像しやすく、各教育委員会では今、休校措置に関するできるだけのフォローアップと、事態収束後に子どもたちを、どのように日常に戻すかを必死に考えているところだと思う。

さて、文化政策は、このようなコンセンサスが一番弱い部分なので対応が難しい。
アーティストやスタッフの緊急支援は、先に掲げたような経済対策の一環として行えばいいし、そのような陳情も始まっている。どこまで実現できるかは大きな課題だが、コンテンツ産業が、これからさらに日本の産業界に大きな地位を占めていくことは間違いないので、ここをいま下支えすることは長期的な国益を考えても重要だ。
この分野は、破綻すると金融以上に自立再生が難しく、輸入に頼るというわけにもいかないので、速やかな支援が必要となる。

問題は、文化の享受を妨げられた人々への補償だ。こういった発想は、まだまだ日本では定着していない。また事態収束後の回復に備えなければならないのだが、いまの状況では動きにくい側面もある。
しかし、社会教育という視点に立てば、今すぐにでもできることはある。図書館が閉まってしまった地域での、子育て世帯への絵本の無償配布。政府の全面買い取りによる音楽や映像の配信の一定期間無償化など。文化庁が緊急でとるべき施策は、こちらの方かもしれない。
国によって対応は違うようだが、外出禁止措置を執っている多くの国でも、日用品の買い物は許されている。飲食店は閉店命令が出ているが食料品店は空いている。そして、書店は開店を許可されている国もあると聞く。まさに本を読むという行為が人間にとって必要不可欠だという認識があるのだと思う。

橋を架けたりダムを作ったりするときに、建設業者を「支援する」とは言わない。生活に必要なインフラをつくる行為は(もちろん無駄なものもあるのだろうが)、公共事業として社会に受け入れられている。ました、学校教育に関わる教員を「支援している」とは言わない。
ただ、文化は通常、民間セクターに任せられる部分が多いので、平時には、行政は補助金のようなやり方で「支援」をしていてもいいのだが、このように著しく国民の権利が侵害された場合には、当然、より重層的な措置がとられてしかるべきだろう。豊岡市が行おうとしている子どものアート体験の施策などは、これに該当する。
私たちは「芸術家に支援をしてくれ」と国家にお願いしているわけではない。支援されるべきは、文化を享受する権利を奪われた国民、特に子どもたちだ。この点においては、私たちは、そのためのコンテンツを提供し、正当な対価を得るに過ぎない。

先に、喫緊のアーティスト支援は経済対策の一環として行えばいいと書いたが、長期的にはアーティストがいなくなってしまうと供給が途絶えて、需要の側のニーズに応えられなくなるので、やはり安定的なアーティスト支援の政策は必要になる。特に、今回、もっとも打撃を受けている若手アーティストに対する支援は重要だ。

繰り返すが、アートは、「足りなくなったら緊急輸入」とかができるジャンルではないので、継続的な、そして持続可能な支援が求められる。ただ、他のものと同じで、文化も芸術も、なくなってから(奪われてから)その大切さに気がつくものなのだけど。