バンコクシアターフェスティバル最優秀作品賞受賞

2017年12月22日

現在、劇団のHPが機能しなくなっており多くの方にご迷惑をおかけしています。申し訳ありません。

引き続き、たくさんのお祝いのメッセージありがとうございます。とくにフェイスブックでは1500以上の「いいね」をいただきました。ももクロさんとの写真を載せた回を軽く超えて、ダントツの最高記録です。赤ちゃん無双ですね。
命名以来、いろいろな人からお祝いの言葉をいただきましたが、直接的に一番うれしかったのは、阪大や藝大で私の授業を受けている中国からの留学生がとても喜んでくれたことです。「さすが我が子は、いきなり国際親善の役に立っておるな」とすでに親バカになっています。

今日は香川県善通寺のの四国学院大学から愛媛県の新居浜市へ。
明日から新居浜で『サンタクロース会議』の今年最後の公演です。まだチケットはあるようですので、近隣の方、ぜひおいでください。今夜は私の講演会もあります。

http://www.akaganemuseum.jp/event/青年団第77回公演 子ども参加型演劇-『サンタクロース会議』

だんだんと通常のブログに戻していきたいのですが、まずは一番の吉報のご報告です。
今年11月にバンコクで創りました『バンコクノート』が、バンコクシアターフェスティバルの最優秀作品賞を受賞しました。国際交流基金バンコク日本文化センターとチュラロンコン大学が共催した大きな国際プロジェクトでしたが、はっきりと形になる賞をいただけたことは、尽力いただいた多くの関係者に何よりの朗報だったかと思います。皆さん、ありがとうございました。写真は、最優秀賞のトロフィーだそうです。

『さよならだけが人生か』の全国ツアーが1月から始まります。すでにチケットが発売されておりますので、ぜひご予約ください。伊丹公演では完売の回も出ています。

http://www.komaba-agora.com/play/5731

今日の深夜25時(23日午前1時)前後にNHKラジオのラジオ深夜便に出演します。

https://www.nhk.or.jp/shinyabin/program/b5.html

https://www.nhk.or.jp/

兵庫県特集だそうで、豊岡のことをたくさん話します。
豊岡市主催のイベントが大阪で開かれます。大阪近郊の方、ぜひおいでください。
無料の上に、参加者には「コウノトリ育むお米」が配られるようです。太っ腹ですね。

https://tonderu-local.com/news/5135.html

さて、一昨日掲載した市原幹也氏のセクハラ問題についての文章も、予想外に大きな反響を呼んだようです。多くの方に青年団のスタンスをご理解いただき、ありがとうございました。
なかには、「被害者の受けた心の傷は長く癒えることはなく、またセクハラは再犯性が強いので、市原氏には二度と演劇界には関わって欲しくないと個人的には思います」という記述が厳しすぎるのではないかというご意見もあるようです。そうかもしれません。ですから一応、「個人的には」と書き添えました。
おそらくこの点は、セクハラ問題をどう考えるかという視点と同時に、「演劇の公共性」をどう捉えるかの違いがあるのかと感じました。

私はこれまで、演劇は、少なくとも劇場は、学校や病院と同程度の公共性を有すると考え、それを表明してきました。それがなぜかは、たくさんの著作に書いてきたのでここでは割愛します。
たとえば、教育の世界において、ペドフィリア(小児性愛)によって性犯罪を犯した教師に対して、「二度と教育界に関わって欲しくない」と意見を述べても、「厳しすぎる」という意見は、あまり出ないのではないかと思います。
もちろんそこにさえ寛容であれという方もいらっしゃるでしょう。演劇と教育は違うという方もいらっしゃるでしょう。しかし、私は演劇界も、せめて教育界と同程度には、このような事柄には厳しくあるべきだと考えます。これは犯罪者の更生の問題とは別次元の話です。理由については以下に書きます。

私は犯罪を冒した者が演劇界に戻ってきてはいけないと言っているわけではありません。窃盗などの犯歴があっても、法的な処罰がきちんと済んでいれば現場に復帰することは十分に可能でしょうし、可能であるべきです。しかし、今回の問題は、それとは質が異なると私は考えています。
アスリートがドーピングや敗退行為といった深刻な問題を起こした際には、その業界から永久追放される場合があります。それぞれの業界には、法的な罰則や更生の問題とは別に、その業界の(あるいは業界に対する信頼の)根底を揺るがすような行為に対しては独自の強い罰則規定が有形無形の形で存在します。これも法律論とは別次元で、社会的に許された制裁であり私刑とは異なります。
もう一点、今回の件が、一般の方にわかりにくかったのは、「キャスティングを餌に」というところが、どれほど深刻かが伝わりにくいのではないかとも感じました。
私たちはオーディションの際、ときに1000人2000人の中から一人の俳優を選びます。2000人から一人を選べば、残りの1999人からは恨まれます。我ながら、ひどい仕事だと思います。しかし、そのような行為がかろうじて許されているのは、オーディションが公平に行われているということが前提になっているからです。受験者たちは、チャンスは平等にあると信じています。俳優たちは、機会の平等のもと、才能という不平等と闘います。
未成年者を含む広範囲の演劇を志す人々に対して、キャスティングを餌に性的関係を迫った今回の市原氏の行為は、この信頼の根底を揺るがすものだったと私は思います。
もちろん犯罪と罰則や制裁の内容は相対的なものです。「演劇界に関わらない」という社会的制裁が重すぎると感じる人もいれば、軽すぎると感じる人もいるでしょう。しかし、私個人は、今回の件を、従来よりも重く受け止めるような演劇界に変えていく必要があると思っています。

演劇には、仕事という以外に「表現」という別の側面があります。それを規制するつもりは毛頭ありません。追放されたアスリートが、走ったり泳いだり野球をしたりすること自体を禁止されるわけではないように、演劇をするのは勝手です。自分で演劇を創って、家族や友達に見せることもできるでしょう。しかし、いわゆる「演劇界」には戻ってきて欲しくないというのが私の見解です。
「表現」という側面を、もっと優先すべきだという意見もあるでしょう。しかしそれでは、この手の問題を巡って、いつも散見される「やっていたことはよかったのに残念」「作品は素晴らしかったのにもったいない」といった消極的擁護論と同様になってしまうのではないかと私は危惧します。「Me too」という運動の一つの大事な特徴は、これまで、ともすれば「芸術」の美名の元、寛容に、あるいは曖昧に扱われてきたセクハラ行為を許さないという点にあると思います。セクハラだけではなく、人権を抑圧するような行為によって成り立つ芸術は、もはや許されない。特に日本の演劇界には、大きな意識改革が迫られていると感じています。

なお、今回の問題が発覚して以降、簡単ですが劇団内の関係者に事情の聴取を行いました。もちろん全員が、「知らなかった」とのことでした。一部、噂には聞いていたようですが、それは「市原さんは女性関係にだらしない」といった程度のものだったようです。
おそらく、北九州の枝光地区でも、類似の何らかの問題が派生していたのだと思います。しかし、その情報は広く共有はされませんでした。これはセクハラ問題の悩ましい点で、被害者の側が詳細な情報の公開を望まない場合、仲裁者は、その意向に沿って問題を処理するしかありません。情報は隠蔽され、職場であれば加害者の移動などで問題はうやむやになりがちです。今回の件も、事前の情報を知っていれば、横浜市側も雇用や契約はしなかったでしょう。関係者の責任を問うことはできませんが、被害を受けた方の気持ちを思うと忸怩たる思いになります。
演劇界全体が強い態度で臨まなければ、このように、問題は形を変えて繰り返されます。
被害者が未成年であったり、広範囲であったり、ある一線を越えたら、この業界には戻ってこられないという厳しい態度で臨むべきかと思います。
いま私は、この原稿を四国学院大学のオフィスで書いています。私は、演劇を志す学生たちを預かる大学教員でもありますから、この問題はより切実です。セクハラやパワハラや人権抑圧に曖昧な態度をとる業界に、学生たちを送り出すことはできません。これはきれい事でも建前でも理想でもなく、現実的な問題です。  多くの方にご理解いただければ幸いです。