『秋田内陸阿房列車』初日があきました。
まず、角館、9時20分発の上り列車。2時間30分にわたって、俳優三人が、喋ったり喋らなかったりという時間を過ごします。
お客様は、外の景色を観たり、パンフレットを眺めたり、飲食も自由、俳優が喋っていないときはお喋りも可というなかで、なんとなく俳優から聞こえてくる言葉に耳を傾けます。
台詞の半分ほどは内田百閒の名作『阿房列車』の様々なエピソードからとられ、他に、今回のために新たに、車窓の風景に合わせて書き下ろされた台詞もあります。
物語らしい物語はなく、ポツリポツリと、色々な話題が脈絡なく続きます。
昔、亡くなられた太田省吾さんとよく、「退屈」ということについて話をしました。時間芸術である演劇は、どうしても「観客を退屈させない」ということを考えます。絵画なら、そういうことはあまり考えないでしょうし、小説でさえ、読むテンポなどは読者に任されていますから、そういった感覚の比重は低くなるでしょう。演劇はそうは行きません。多くの演出家は、観客に飽きられることを嫌います。
しかし、退屈なこと、飽きることは、単純に悪なのか。
少なくとも私は、人生の退屈な時間を、退屈ではないように描くことに腐心してきました。
今回は、退屈したら、と言うよりも、退屈を計算に入れて、喋らない時間を存分に長くとり、その間は、とりあえず外の景色を観ていてもらうという新しい試みです。
戯曲の内容は、退屈を至高の文学にまで高めた内田百閒です。
私には、最高に楽しい時間ですが、さてお客様にとってはどうだったしょうか?
鷹巣に11時49分着。近所のラーメン屋さんで昼食。おいしかったです。
そのあと、「のぼり」公演の反省会と「くだり」公演の段取り確認。ここでは、マチネ・ソアレとは言わずに、「のぼり」「くだり」と言います。
14時37分、鷹巣発。「くだり」は急行なので上演時間が短くなります。また、進行方向が逆なので、当然、話題のいくつかが、出てくる順番が違ってきます。俳優にとっては、別の芝居をもう一本やるようなものです。
さて、特に今日の「くだり」は、お客様の反応もよく、たくさん笑いも出ました。なんだか、ゆったり観ていただくといいようです。
上演は、13日まで、一日、上下二本です。当日券もあります。
念のため書いておきますが、角館発鷹巣行きが「のぼり」、鷹巣発角館着が「くだり」です。東京に近い方に向かうのが「のぼり」と思うかもしれませんが、今でこそ角館駅は新幹線停車駅ですが、もともとは田沢湖線という支線の駅でした。鷹巣駅は奥羽本線にありますから、おそらく、それで上り下りが決定しているのではないかと思われます。興味のない方には、まったく関係ありませんが。