NHKにおける私の発言に関して

2020年5月08日

 私のNHKの番組出演をきっかけに、私が製造業を見下しているという、まったく根拠のない悪意のツイートが繰り返されています。
 個別のツイートには返答をしない方針ですが、記録のために、あらためて番組で語った内容を書いておきます。
全文は、以下のサイトでご覧いただけます。

https://www.nhk.or.jp/ohayou/digest/2020/04/0422.html

 この中で私は以下の発言をしました。

Q:政府の支援策などが出ていますが?
非常に難しいと聞いています。フリーランスへの支援に行政が慣れていないということが露呈してしまったかなと思います。1つには、小さな会社でも「融資を受けなさい」と言われているのですが、まず法人格がないところが多いと。それから、ぜひちょっとお考えいただきたいのは、製造業の場合は、景気が回復してきたら増産してたくさん作ってたくさん売ればいいですよね。でも私たちはそうはいかないんです。客席には数が限られてますから。製造業の場合は、景気が良くなったらたくさんものを作って売ればある程度損失は回復できる。でも私たちはそうはいかない。製造業の支援とは違うスタイルの支援が必要になってきている。観光業も同じですよね。部屋数が決まっているから、コロナ危機から回復したら儲ければいいじゃないかというわけにはいかないんです。批判をするつもりはないですけれども、そういった形のないもの、ソフトを扱う産業に対する支援というのは、まだちょっと行政が慣れていないなと感じます。

この全文の中から、

「製造業の場合は、景気が回復してきたら増産してたくさん作ってたくさん売ればいいですよね」

という部分だけが抜き出され、拡散されました。本当に悪意のある引用としか言いようがありません。拡散した方たちには正義、善意のつもりだったのかもしれませんが、多くの方は一次資料、原典に当たっていないことはたしかでしょう。Twitterの怖さと言ってしまえばそれまでですが、嫌がらせのメールなども劇団に届きます。いわゆる「自粛警察」の変化した形態と言えるかもしれません。

私はここでは、質問に答えて、「政府の支援策」について語っています。産業構造が違えば、支援策は違って当然です。私は政府を批判しているわけでもなく、まだ「慣れていない」と発言をしました。現に、いまも、与野党問わず議員の方、官僚や自治体の方から、「支援をしたいのだけど、どうすればいいか」という問い合わせがよく来ます。うまいスキームが見つからないのだと思います。
この点は、本文の最後にももう一度触れますが、とりあえず、悪意のある引用には抗議します。

なお、新しいスキームが必要だという視点は、特段目新しいものでも、私のオリジナルの見解でもありません。たとえば、保守系の雑誌であるWEDGEの5月号では、巻頭の「OPINION」欄で、原田泰名古屋商科大学教授(元経済企画庁・大和総研チーフエコノミスト)が、以下のように記しています。

「対応にはいくつもの難しさがある。第一に、今回の不況は、外食、宿泊、興業などのサービス業に直接的な打撃を与えている。これらは中小企業や非正規、フリーランスが多い職場である。これまでの、事業主を通じた雇用維持や、雇用保険での対処に加えて新しい対応が求められる。」

以下は、さらに、今後の授業で使うための備忘として書いておきます。
ライブエンタテイメントに関心のある方でも、はじめて聞く話もあるかと思いますので、暇つぶし程度に読んでいただければと思います。

 コンテンツ産業の中でも、特にライブエンタテイメント産業は、原則として客席数が決まっており、それをどう満席に近づけるかが経営の手腕として問われます(もちろん、劇場を建てるといった大規模投資もありますが、それは一生に何度も経験することではないので、アートマネジメントの入門編からは外してもいいでしょう)。
 この「客席稼働率」という考え方は、他の産業との違いとして、実践的なアートマネジメントの教科書の最初に書いてあるような事柄です。私も二回目くらいの授業で、以下のような説明をします。

たとえば、この点はよく、航空産業との類似で説明されます。
 飛行機は、搭乗客がゼロでも満席でも、かかるコストは、大きくは変わりません。
 演劇やライブも同じです。
 そこで、

飛行機なら搭乗率
ホテル・旅館なら客室稼働率
劇場・音楽堂なら客席稼働率

によって、採算分岐点を決定します。
飛行機の場合、この搭乗率によって、路線の増便、減便も決定されます。
 映画館、特にシネコンは、客席稼働率の変化を見て、どのスクリーンでどの映画を上映するかを柔軟性を持って変えられるのが強みです。

 演劇の採算分岐点は比較的高く、ブロードウェイなどは80%から90%とも言われ、客が入らなくなるとすぐに打ち切りになるというのはよく聞く話です。
 日本国内の通常の公演は、おそらく70%から80%を採算分岐点として考えているかと思います。また、公共ホールは60%から70%くらいが健全なのではないかと私は主張してきました(この点には諸説あるかと思います)。
いずれにしても、他の業種に比べても、これは相当高い設定です。
上限の100%を超えることはできませんから、人気が出たとしても大幅な利益は見込めません。
 よく、「公演回数を増やせばいい」というご意見を聞きますが、日本の場合は劇場を借りている期間が決まっており、次に上演される演目も決まっています。せいぜい、夜公演しかない日に、何回か昼に追加公演を行うといった程度です。これもキャストやスタッフを休ませなければならないので限界があります。
 アメリカのようなロングランシステム、ヨーロッパのような再演や巡回公演のシステムを持たない日本では、短期間に初期投資を回収しなければならず、採算分岐点は高くなり、それ故に必ずお客さんの入る名の通った俳優さんを出演させねばならず、そのような俳優さんのスケジュールを、翌年、翌々年とすぐに抑えることはできないので、さらに再演が難しくなる(ロングランは論外)という悪循環があります。

 もちろん、製造業でも増産のしにくい分野もあります。ショービジネスの世界でも、二班、三班体制などで公演回数を増やす形態の上演(これはこれで、初期投資が大きくなりますからリスクを抱えますが)や、演劇鑑賞会の巡演システムなど例外もあります。
 ですから、ここまでの議論はあくまで、相対的に見て、エンタテイメント産業は製造業に比べて増産がしにくく、大きな儲けが見込めない収益構造を持っているという話です。
「SHOWほど素敵な商売はない」というのは、二年、三年とロングランが続けられる(それもきわめて限られた作品のみですが)ブロードウェイなどのおとぎ話であり、現実は、非常にシビアで、ある意味地道な儲けを重ねていく商売だとも言えます。採算分岐点から少しでも集客の上積みができれば、それを内部留保して次の公演につなげるというのが多くの劇団の現状です。

基本的に自然を原材料にして、そこから収益を得る農林水産業
原材料を仕入れて、それを加工し製品を作る製造業
時間や空間に付加価値を付けて販売するエンタテイメント産業や観光業

 産業構造、収益構造が違えば、その産業が危機に陥ったときの支援の方法も異なってきます。
 製造業への支援は、伝統的に利息の低い「緊急融資」という形がとられてきました。この方法が、もっともモラルハザードが起こりにくいからだと思います。企業に対する一律の支援となると、不正受給などが懸念されたり、企業努力を怠っている会社も救済されて自由経済のシステムが壊れてしまいます。
農業においては、食糧自給率の確保など、その公的な性格から、常に様々な補助金制度があります。さらに災害時には、農業用ハウスの修繕から土壌改良、種子の買い入れなどにも補助がつきます。これはおそらく、被害が明確なので補助が出しやすく、モラルハザードがおきにくいという背景もあると思われます。
いま、飲食業を中心に家賃を補助する動きがあるのも、同じような背景があると考えらるでしょう。インフラ的な部分を補助によって立て直すことで、回復時の自由競争のスタートラインを同じにする事は資本主義経済にとっても理にかなったことだと思います。
 もちろん、どの支援のあり方にも一長一短があります。90年代末には、金融を救うために、公的資金による資本注入が行われましたが、このときは国民的な議論が起こりました。

 では、サービス業の場合、どのような支援が適切でしょうか?
これがまだ定まっていないということは冒頭にも書きました。
「go to キャンペーン」の立て付けが、いかにもうまくないのも、そこら辺に原因があります。
 旅館の方に話を聞きますと、どうしても観光庁はモラルハザードを防ぐために、需要を喚起することで支援としたい。また、不正を防ぐためにも大手旅行サイトを通じての支援としたい。結局、旅館やホテルに落ちるお金は少なくなるという問題が起きているようです。

 私が専門とする演劇などの舞台芸術の場合も同様で、どのような支援がいいのか、議論百出で、この文章の中で取り上げられるものではありません。諸外国を見ても、文化政策は、その国の歴史や文化民族性などが反映されやすいので千差万別だという点は、以前にこのブログでも書きました。前回書いた韓国のように、全方位からの支援が行えればベストですが、日本の場合は、それも期待できないので少ないリソースをどう有効に使うか難しいところです。
ただ、たとえば、今回の文章の文脈上で例をあげるなら、現下の危機に対しては、以下のような補助金は、新しい支援の形として考えられるかもしれません。

 いま、劇場関係者の間でも、出口対策が問題になっています。いつ、どのような形でなら、劇場を開けられるのかということです。
 おそらく安全な地域から三密を避けてということになるでしょう。
 問題は、大きな劇場がそれで採算がとれるのかという点です。

上記のように、採算分岐点は客席稼働率70%から80%です。
 もしも三密を避けるために一席ずつ空けるとすると最初から客席は50%となり満席でも採算割れになります。
 ですから例えば、三密を避けるための協力金として空けた分の席に補償をしてもらうという助成の仕方はあり得るかもしれません。数値も明確なので、不正は起こりにくくなります。行政としても、ある種の大義はある。

 もちろん補償は全額ではなくても、以下のような基準での助成は可能かと思われます。

総席数の50%分(協力分)×その劇場での過去のチケットの平均値の70%×70%(いつも満員になるとは限らないので)

1000人の劇場で、8000円のチケット、採算分岐点を70%とすると、通常の場合は1ステージあたり560万円の売り上げが採算分岐点になります。

上記の計算式だと、1ステージあたり196万円の補助が出ることになります。
残りの500席を満席にすれば、売り上げは400万円。
合計の収入は596万円となり、通常時の採算分岐点を上回ります。
500席を満席にしなければなりませんから、企業努力も必要となり、この点でもモラルハザードはおきにくくなります。

以上のように、アートマネジメントというのは、「社会における芸術の役割」といった理念的な部分と、こういった実践的な部分の双方を学ぶ、考える学問です。
 ちなみにイギリスでは、演出家も大学院あたりで、こういったエクセル使って予算書をガンガン作るような授業をするようです。そうしないと、将来、芸術監督になれないのでしょう。

ここまでわざわざ読んだ方には、もうあまりいないと思いますが、もちろん、文化や(あるいは観光さえも)ライフラインとは関係ないから支援の必要はないという方もいらっしゃるかと思います。その点については、過去のブログにも様々に書いてきましたので、今回は割愛します。
 また、上記の金額が多き過ぎると感じる人も当然いらっしゃるかと思います。
 日本はこれまで文化政策としては、大劇場、商業系の劇場への支援は、あまり行ってきませんでした。文化政策としては、それは一面正しく、市場原理に委ねられる部分はそこに委ね、それができない、しかし文化全体としては必要な基礎研究や先端研究にあたる部分を公的に支援するというのは、文化政策においても科学振興政策においても共通の考え方だからです。
 しかし、今回のような緊急事態では、文化政策の側面とともに、経済政策、そして公衆衛生の側面からの支援も必要とされています。
 ドイツではキャバレーも支援の対象になっていると聞きました。ここでいうキャバレーとは、フランスでいえばLIDOやムーランルージュのような観光資源にもなっているものだろうと想像します(ドイツについてあまり詳しくないので、あくまで想像です)。
2.5次元なども含め、日本のライブエンタテイメントは、観光資源ともなり得る成長産業です。また、実は小劇場系の若手演出家たちも、こういったところで食い扶持を稼いでいる側面もあります。文化と産業を守りながら、疫学上の安全基準を満たすという双方の意味での支援と考えれば、数字の多寡は考えるにしても議論する価値はあるかと思います。
農業への支援が、経済的な側面と、食糧自給率あるいは環境保護といった多角的な面があるのに似ています。

 あまりに長くなりましたので、この文はここまでにしたいと思います。
 ここに書いてきたことの、特に前半部分は、多少の議論はあるにしてもアートマネジメントの世界では、きわめて当たり前のことかと思います。
 ある学術領域での知見や通説を披瀝してただけでバッシングを受けるというのは、天皇機関説事件の例を引くまでもなく、相当に危険な兆候であると感じます。
 ぜひ、この点に関して、多くの皆さんに危機感を共有していただきたいと思います。

 冒頭、嫌がらせのメールが来ると書きましたが、それほどの件数ではありません。
 事務所は半ば閉めているので、嫌がらせの電話がどれくらい来ているのかは把握できません。
試みに一つだけ、いただいたメールを抜粋してご紹介します。
 
たかが演劇。なくても生きていける。
地獄に落ちろ。地獄を味わえよ。
多くの人に恨まれていたことを知れ。

 劇作家という職業を選んだ時点で、天国に行くことは断念していますが、いま地獄に行くのは嫌だなと思った次第でした。