いよいよ、新刊『22世紀を見る君たちへ』(講談社現代新書)が刊行されます。
ぜひ、書店で手に取ってください。
この新刊では、これまで各所で作ってきたディスカッション型の試験問題を軸に、大学入試改革、ひいては日本の教育問題全般に言及しています。問題集も付録としてつけているので、学校でもアクティブラーニングの教材として使っていただけるかと思います。
今回の新型コロナウイルス関連の一連の問題について、これまでも本ブログに書いてきましたし、たくさんの取材も受けました。多くの皆さんの関心事になっているのだと思います。
その中で、否定的なご意見の中には、「専門知識もないくせに、いろいろ言うな」というものがありました。ごもっともな感想だと思います。一方で、「整理の仕方がわかりやすかった」「モヤモヤしたものがスッキリした」と言う励ましの言葉も多くいただきました。
どちらにも理由があると私は考えています。
私は確かに、医療の専門家ではありませんが、しかし、大阪大学コミュニケーションデザイン・センター(CSCD)に勤務し、医療コミュニケーションや科学コミュニケーション(あるいはそのための授業プログラムの開発や教材作り)のお手伝いを長くしてきました。
そもそも、CSCDは、阪神淡路大震災の教訓から、専門家と非専門家が対等な立場で情報の交換やコンセンサス形成をするための土壌づくりを目指す高度教養教育プログラムを開発する目的で設置されました(それだけではありませんが)。
すなわち私は、医療の専門家でもないし、科学コミュニケーションの専門家でもないけれど、科学コミュニケーションの知識を社会にどう生かしていくか、教材化していくかに関しては、日本に数少ない専門家と言ってもいいのではないかと自分では思っています。
科学コミュニケーションのディスカッション教材を作るときの大きなポイントは、以下の二点だと私は考えています。また、このことを生徒や学生には繰り返し説明してきました。
・危機が起こった時に、ゼロリスクはない。
・リスクは常にトレードオフである。
たとえば、今回の新型コロナウイルス問題を例にとるならば、
パンデミックを防ぐためだけなら、最も効果的なのは、私権を完全に制限して、外出や集会などを禁止することです。緊急事態宣言が出た場合などは、これらは有効であり、地域の封鎖なども当然行うべきかもしれません。
しかし、それ以前の段階の場合、あるいは、このような措置が長期にわたる場合、経済が疲弊するのはもちろんのこと、人々のストレスが増大し、それにともなって他の病気が増える可能性もあります。家に閉じこもっていては、長期的な健康リスクが増大することも確かでしょう。
また学校を長期に閉校することは、子どもの心身に悪い影響を与えるだけでなく、将来的に見て社会全体に大きなダメージを与えます。
私は学校以外に、文化施設などもそこに加えたいと考え、発言をしてきましたが、ここでは、その議論はおきます。
とにかく、どんな措置にもリクスは伴う(ゼロリスクはない)ということです。
そこで議論しなければならないのは、では、どの策が最善かということです。この議論の際には、「絶対にこの策しかない」と言った発言は慎まねばならず、お互いが、どの策にも一長一短があり、それぞれが最善を目指しているのだという信頼関係が重要になります。
何かを優先すれば、何かを犠牲にしなければならない。常にリスクはトレードオフです。
また、「学校を再開して死者が出たら、だれが責任を負うのか?」といったヒステリックな発言は、最も慎まなければなりません。なぜなら、行政は往々にして、この眼前の「責任」を回避するためだけに、文句が出にくい選択肢を選び、そのために全体最適を損ねてしまう、あるいは将来的な社会構造を壊してしまうことがあるからです。
テレビでは、医療崩壊が起きつつあるイタリアで、重症な90代の患者と、新しく入ってきた30代の患者で、どちらに人工呼吸器を付けるかといった状況(詳細は違ったかもしれません)が紹介されていました。
授業でこれを題材にするなら、たとえば、小学校を半年間休校にすることで、高齢者の感染率が5%下がるとして、その施策は有効かといった設問になるでしょう。まさに有名な「トロッコ問題」が、現実味を帯びて私たちに迫ってきています。
いま、この時期に、そんな議論をするのは不謹慎だというご意見もあるでしょう。しかし、いまの学校教育では、新鮮な時事ネタを素材にすることは当然のこととされています。いますぐとは言いませんが、記憶が鮮明なうちに教材化をしていくことは大事なことです。また、そのために、だれがどのような発言をしたかも含めた、定量と定性のデータを集めておくことも大事です。
実勢に、私たちも大阪大学では、たとえば狂牛病のリスクと経済の相関の問題などを授業のディスカッションの題材として扱ってきました。
こういった議論を学校で行っておくことが必要なのは、今回のような問題が派生したときに、相手を一方的に論破しようとするのではなく、「あなたの言うことも一理あるのはわかるけれど、私はこういった根拠で、こちらの案を支持する」といった対話の姿勢を、市民一人一人が身につけておくことが、長期的に見て民主主義を守り、社会を安定させるからです。
と、まぁ、長々と書きましたが、ここまで書いてきたことに興味を持たれた方は新刊を読んでくださいという宣伝です。すみません。
クラウドファンディングは、世界的に思わぬ事態が進行し、少し支援の金額が伸び悩んでいます。確かに、この時期に声高に、支援をと言える状況ではありませんが、どうか、だからこそ、ご検討をお願いします。あと2週間です。
https://www.makuake.com/project/ebara-riverside/
活動報告もご覧ください。
応援メッセージも次々に届いています。
https://www.makuake.com/project/ebara-riverside/communication/
支援が難しい方、すでにご支援いただいた方は、情報の拡散だけでもお願いします。
私のメッセージ・動画を、Webサイトに掲載しておりますので、ぜひ、ご覧ください。
Twitterも始めました。
無隣館についての説明はこちらにもあります。
http://www.komaba-agora.com/theater/murinkan
こちらの動画も話題になっています。ご笑覧ください。
日記の続き
12月
21日 早朝、アゴラで仕事をしてから新幹線で京都へ。京都文教大学で山折哲夫先生、石黒先生と鼎談。JRで、いったん江原に戻る。
22日 飛行機で羽田へ。『馬留徳三郎の一日』の稽古開始。渋谷のウィークリーマンション暮らしが始まる。
23日 『馬留徳三郎の一日』稽古。東京藝大に出勤。学生面談。午後、授業。夜、映画美学校で授業。
24日 ミーティングや面談。『馬留徳三郎の一日』稽古。東京藝大授業。映画美学校授業。美学校とウィークリーマンションが1分ほどなのですごく便利。一人のクリスマスイブ。
25日 打ち合わせ数件。『馬留徳三郎の一日』稽古。夜、青山で斉藤環さんと対談。楽しかった。
26日 朝の飛行機で大阪へ。府立図書館で講演会。尼崎で対談収録。JRで城崎温泉へ。城崎文芸館で井上ひさしさんについての鼎談。これはもうすぐ本になります。自宅に戻る。
27日 午前中、城崎の三木屋さんで撮影。市役所で会議。JRで東京へ。『馬留徳三郎の一日』の稽古。ミーティング。取材一件。
28日 面接や打ち合わせ。『馬留徳三郎の一日』稽古。夜、堀夏子演出の『東京ノート』観劇。
29日 『馬留徳三郎の一日』年内最後の稽古。夕方の便でコウノトリ但馬空港へ。
30日 午前中、写真館で記念写真。但馬銀行打ち合わせ。買い物。家族と別れて私は城崎温泉に向かい、ひうらさとるさんと対談収録。ありがとうございました。帰宅。
31日 家族と過ごす。