伊丹公演追加発券+当日券も出ます

2018年1月25日

 『さよならだけが人生か』長野公演、富士見公演、それぞれ、ほぼ満席となりました。ありがとうございました。
 その間、有安杏果さんの卒業があり、富士見市ではそのメッセージの収録も行いました。まぁ、たまたま富士見市にいたからなのですが。

 そして、いよいよ、『さよならだけが人生か』は伊丹公演が始まります。
 前回、ほぼ売り切れの状態でしたが、劇場に入って舞台美術の仕込みが終わり客席の設定が確定。若干、席数に余裕が出ましたので、前売りを再開いたします。
 ぜひ、ご利用ください。
 また、当日券は、少し見にくい席になりますが、たくさん出ます。劇場においでいただくと分かるのですが、鉄パイプに遮られて、少し見にくいのですが芝居全体を鑑賞するには支障のない席を、すべて当日券に回しています。ご利用ください。

http://www.seinendan.org/play/2018/01/6261#tour3

 さて、子育ての方ですが、父親は大学の仕事や旅公演で、なかなか家に戻れないのですが、順調に育ってくれているようです。いまは、こんな感じです。

 出産のときのことを多くの方に聞かれるので、とりあえず、中日新聞の連載に書いた原稿(のちに東京新聞にも転載)を加筆して掲載します。

 以下、極めて私的な事柄で恐縮だが。
 その日は、夜の九時半まで劇作家協会の戯曲講座の仕事があり、最後の発表会の日でもあったから打ち上げの宴席も予定されていた。ただ、念のため自宅に電話を入れてみると、妻が、どうも陣痛が始まったようだと言う。とりあえず打ち上げは断って帰宅したのが十時半頃。十分間隔だった陣痛が、五分程度の周期になり、十一時には車で妻を病院に連れて行く。
 一通りの診察があって、「ご主人は立ち会われますか?」と聞かれ、「申し訳ないのですが朝の五時までしかいられないのです」と答えた。助産師さんの方も、「こいつは何の職業だろう?」といぶかしんだのではないか。
 分娩室には、なぜか床の間のような畳敷きの空間があった。隣の部屋からは阿鼻叫喚の声が聞こえ、うちの妻もいずれああなるのかと思いつつ、その畳の上に身を横たえて仮眠をとろうとうとうとしたのが一時前後。
 ところが午前二時頃に、にわかに周囲が慌ただしくなり、胎児の心拍数だか何やらが弱ってきているので吸引分娩にしますと言われて、私は何のことだかも分からずに「よろしくお願いします」と言って出産に立ち会うことになった。
 へその緒が少し絡まっていたらしく、一瞬、部屋に緊張感が漂ったのだが、しかし子どもはあっけなく、この世に現れ、オギャアと元気に産声を上げた。私は五五歳で、はじめて父になった。
 産後の様々な処置がなされ、体重が量られ、記念撮影をして、それから荷物をまとめて入院用の部屋に移った。荷物を広げ終わったころに新生児が連れてこられた。時計の針は、ちょうど午前五時を指していた。何と親孝行な息子だろうか。
 予定日ちょうどの出産であった。私はこのタイミングでなければ立ち会うことができなかった。この日からしばらく関西での仕事が続き、一応夜は帰れるように毎日、飛行機便の予約だけは入れてあった。何となく「出産は夜」というイメージがあったから。

 出産直後の妻子を残して、私はそのまま、車を運転して空港へと向かい羽田から伊丹へ。
 その日の午前中は大阪府豊中市の小学校で四時間、六年生を対象に演劇の授業をした。昼過ぎからは大学の授業が一コマあり、さらに梅田に移動して自分の劇団の関西公演の記者発表を行った。ここまで機内で一時間ほど眠った以外ほぼ一睡もしておらず、さすがに朦朧としてきた。知り合いの記者も多かったので、「東京の記者も知らないスクープを提供します」と冗談めかして我が子の誕生を告げた。それが翌日、本当に新聞記事になっていて驚いた。生まれたときから新聞沙汰になってしまい、息子には申し訳なく思っている。
記者会見後、ラジオの収録が一件あり、そのあと大阪駅から「コウノトリ号」に乗って豊岡に向かう。車中、やっと妻にメールをした。
 翌日からは豊岡での滞在だったのだが、豊岡市役所は、いつでも私を空港か駅に送れるように車を準備してくれていたそうだ。それらもすべて、ありがたい杞憂に終わった。