バンコクから

2015年8月15日

アンドロイド版『変身』マレーシア公演は、無事に日程を終了。終戦70年目の朝は、ペナン島のホテルで迎えることになりました。午前中にタイに移動。いま、この原稿は、バンコク、チュラロンコン大学のカフェの片隅で書いています。

 今年の夏は、7月の『冒険王』『新・冒険王』の韓国公演からアンドロイド版『変身』のアジアツアーと続き、ほとんど東京にいませんでした。韓国、中国、台湾、マレーシア、タイとアジアの国々を回るなかで、はからずも戦後七十年を考える巡礼のような旅になってしまいました。
デモに参加することもなく、海外にいるので戦争法案や安倍談話についての取材もほとんど受けず、静かに、いまの日本について考える時間が持てたことは、私個人としてはよかったことだったと思います。
 もちろん、ゆっくり考えることが無前提によいわけではありません。考えるのをやめて、行動しなければならないときもある。ただ、劇作家という仕事は、体験を作品に昇華させるまでに、とても時間のかかる職業だと思っています。『ソウル市民』を書いたのは韓国留学の四年後、『東京ノート』はボスニアヘルツェゴビナの紛争から着想を得て、作品になったのは二年後でした。いま書いている新作は、もう十年近く暖めてきた題材です。

日本に戻ると、秋の平田オリザ演劇展に向けての稽古が少しずつ始まります。
 大杉栄と伊藤野枝を描いた『走りながら眠れ』ほか、日本と日本人について考えた作品が並びます。ぜひ、ご覧ください。

http://www.seinendan.org/play/2015/03/4470

また『転校生』も本番間近です。ぜひ、おいでください。

http://www.parco-play.com/web/play/tenkosei/

日記の続き

8月6日(木) 朝2時半に起きて、3時ホテル出発。台北国際空港へ。早朝なので渋滞もなく早く着いてしまって、まだチェックインカウンターが開いていなかった。一番にチェックインを済ませてゲートへ。ラウンジもまだ開いておらず、ロビーで30分ほど時間をつぶす。ラウンジが空いたので朝食。
6時、台北発の飛行機、やはり少し遅れる。10時関空着。そのまま市内へ。
昼食後、14時中之島公会堂へ。14時半から、近畿学校図書館研究大会特別講演。16時に終了。向かいの東洋陶磁美術館のカフェで打ち合わせ一件。さらに阪大中之島キャンパスに移動して打ち合わせ二件。新大阪に移動。夕食後、新幹線で名古屋へ。名鉄に乗り換えて犬山経由で新可児へ。23時頃、ホテル到着。

広島原爆投下の日。ハンブルグでのオペラ『海、静かな海』の楽曲が完成したらしい。いよいよ、あとは私が頑張るだけ。

8月7日(金) 朝、この日の台北公演が台風で中止と決定した旨、メールが入る。これは、ある程度予想されていたので、9日、日曜日に追加公演をすることが決定。朝9時半に迎えの車が来て、可児市文化創造センターalaへ。10時から16時まで毎年行っている教員向けのワークショップ。17時から電話取材一件。17時半、打ち合わせを兼ねて食事。19時から衛紀生館長、「芸術家と子どもたち」の堤さんと鼎談。そのあと、軽く打ち上げ。23時、ホテルに戻る。
なんと翌日(8日)の夜の公演も中止が決定。また、午後に予定されていた私の講演会も中止。というわけで、私は、急がなくても、とにかく台北に行けばいいことになった。

8月8日(土) 朝6時20分の特急で中部国際空港へ。台風で大幅遅延は分かっていたのだけど、一番早い便に乗るために、とにかく空港に向かわなければならない。7時40分、空港到着。便は夕方になることが決定。
フランス人俳優たちの熱意で、なんと日曜日に3ステージを行うことに。ラウンジで原稿を書きながら台湾と連絡を取り続ける。昼食はひつまぶし。大浴場があったので入ってみる。日本は快晴。風呂から空港の眺めが美しい。さっぱりして、さらに仕事。2時40分、自動チェックインを済ませて、ぎりぎりまでラウンジで仕事。そのあとゲートに進むも、ここでさらに2時間ほど待たされる。コンビニで買った非常食で堪え忍ぶ。同じ時間に飛ぶはずだったJAL便の方は深夜出発になっていたから、まだいい方だと思わなければならない。
結局、19時過ぎに搭乗開始、20時に離陸。22時過ぎ(時差があるので実際のフライトは3時間くらい)に台北国際空港着。到着からはスムーズで、自分で市内行きリムジンバスを見つけて乗車。ホテルの前で首尾よく降りる。部屋に入ったのは23時45分。どうにか一日のうちに台北に着けた。

8月9日(日) 朝食後、いろいろメールが入って出発が遅れる。通りは昨日までの台風の影響で道にガラスが飛び散っている。死者も出たらしい。10時劇場着。今日は、10時半から第一回公演。なぜか、本番前にスタッフたちはばば抜きをすることになっている。

急遽決まった朝の追加公演だったが、ほぼ満員。12時、無事終了。カーテンコールは四回。本も飛ぶように売れる。昼食、最後の肉麺。14時半、本来のマチネの回。当然、超満員。カーテンコールは私も出ることに。

おととしのアンドロイド版『三人姉妹』がとても好評だったこと、昨年、台北藝術大学で一週間のワークショップを行ったこと。今年、『演劇入門』の中国語版が台湾で出版されたことなど、台湾演劇界では、きわめて狭い範囲でちょっとした平田オリザブームになっている。長く続いてくれるといいのだけど。
16時半から18時まで、本当は昨日やるはずだった講演会。こちらも定員を超えて入場を断ったらしい。講演会終了後、フェスティバルディレクターのイーウエィさんと、今後のことについて少しミーティング。
20時から、最後の上演。この回も満員。『演劇入門』はすべて売り切れ。日本でも、これくらいお客さんが入ってくれるといいなあ。

私は一人でホテルに戻る。
テレビで長崎市長のスピーチを聞く。さすが田上市長、素晴らしい。

8月10日(月)早朝3時半のバスで劇団員と一緒に台北国際空港へ。私のチェックインはすぐに済んで、あとは劇団のチェックインの手伝い。超過料金の計算に手間取り、そうこうするうちに私の出発時間がぎりぎりに。急いで手荷物検査、出国審査を済ませてゲートへ。しかしゲートに駆けつけてみると、まだ搭乗は始まっておらず、ここで相当待たされる。アナウンスもなし。7時20分出発予定が8時に搭乗開始。さらに機内に入ってから離陸までに二時間近く待たされる。眠って待つ。
10時離陸。12時過ぎにバンコク国際空港着(時差があるので実際は3時間)。劇団の荷物を手荷物預かり所に預けてから鉄道で市内に入る。ホテルに着いたのは14時。私だけ乗り継ぎの関係で劇団と離れてバンコク経由、これからほぼ丸一日フリーなので原稿に集中。
夕方、『転校生』の追加場面を脱稿、送付。ホテルのプールで泳ぐ。昼寝。さらに原稿。夕食はタイカレー。夜、続いて、故・佐藤真監督についての文章、脱稿、送付。しかし字数を間違えていたことが分かり書き直し。

8月11日(火) 久しぶりにゆっくり眠って朝食。原稿、プール、原稿、昼食、チェックアウト。カフェで原稿。
鉄道で早めに空港へ。17時、空港着。さらに原稿を書こうと思ってラウンジに入ったら石黒先生がいた。19時25分バンコク発、22時10分ペナン着(時差があるので実際は1時間ほど)。フェスティバルの車でホテルへ。チェックインをしていると仕込みを終えた劇団員が帰ってきた。
津田大介さんに頼まれていた原稿を脱稿、送付。締め切りの迫っていたもの、過ぎていたものは、この二日で一通り終える。

8月12日(水) 午前中、ホテルのプールで泳ぐ。水が冷たい。
午後からみんなで劇場に向かい舞台稽古。予定されていたインタビューがなくなって、俳優たちはいったんホテルに戻る。私は楽屋で仕事。大学の中の劇場なので、学食で食べるのだが、これがいずれも安くてうまい。昼はミーゴレン、夜はナシゴレン。
明日からの本番にあわせて8時半にゲネプロ。ちょっと空間が広く、俳優も集中力を欠く結果に。ミーティングで少し注意をする。11時前、バスでみんなでホテルに戻る。